« 2009年2月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年5月

2009年5月28日 (木)

狩野川の鮎 5月23日

狩野川で「友釣り」をするのは、いったい何年ぶりだろうか?

 それほど遠い昔になる。今回は、通常、麗照院と呼ばれる淵の上(月ケ瀬)の瀬で竿を出した。

朝六時には、右岸側にはびっしり人が立ちつくしていたが、幸い左岸側には誰もいない。

 理由は、足場が悪いからだ。

しかし、足場の悪い左岸の積み石の上に座りながら、9mの竿を6.5m位に畳んで、すぐ目の前の石を探りながら釣り始めた。

 すぐに、16cm位の鮎が顔を見せてくれた。それから、6匹連続で竿をしならせ、久しぶりに狩野川の友釣りに満足できた。

 

 釣れた鮎は、ほとんど成魚放流の鮎だが、鏡のような淵の際には、5cm位の天然遡上の鮎がたくさん泳いでいた。

 鮎の成長は早い。

 夏には、きっと、狩野川の麗しい鮎になるに違いない。

|

2009年5月26日 (火)

興津川の鮎 (2009年5月20日)

「興津川のお祭」

Dvc00017 

2009.5.20 深夜二時に家を出て、朝四時半に興津川に着いた。

しかし、友釣りに入る場所は既にない。全く釣れそうにもないところですら人が立っている。今日は関東で一番早い鮎釣りの解禁河川 興津川のお祭りだ。駐車場には、青森、群馬、栃木、岐阜のナンバーもある。

「どぶ釣り」

 やむを得ず「稲荷淵」と呼ばれる右岸に入り、どぶ釣りに興ずることにした。友釣りもどぶ釣りも鮎釣りの一手法に変わりはない。

 鮎の毛針を沈めてしばらくすると、鮎独特の当たりがあった。竿先をかすかに震わせるようなか細い動きだ。その瞬間竿先をピタリと止めた。

数秒後、竿の穂先を一気に水の中に突っ込み始めた。鮎独特の当たりである。

音楽に喩えるなら、最初の第一楽章は、実に静かな旋律でゆったりとしていて、次第に第3楽章、第4楽章に入ると実に激しく天地をひっくり返すような音が支配する交響曲のそれに鮎の引きが似ている。

どぶ釣りの鮎の引きは、まさに交響曲の旋律そのものに思えてならない。

「興津川の鮎の香り」

興津川の鮎は、良質の苔をはんでいるから肌がツルツルしていて、香りが非常に強い。鮎は、鮎の肌と香りで評価されるが、興津川の鮎は素晴らしい。

友釣り」

午後三時頃になると、あれほどいた人もほとんどいなくなった。

釣れないからだ。

おもむろに、友釣りの支度に切り替えて川に入る。今年は、鮎は少ないものの興津川で竿を出せることに満足である。

5/20といえば、私の故郷阿賀野川では、山菜が出て、ようやく山々の木々が芽吹いた頃だ。鮎の遡上は、勿論6月に入って本格的になる。

たとえ、放流鮎とはいえ、興津川では、釣り人に鮎釣りを楽しませてくれる。ありがたいことだ。

小さな川の興津川。山々は、緑色で、川の周辺には摘み終えたお茶畑があり、新緑の柔らかそうなお茶の葉が目に眩しい。

竿を出している背中から、カジカの鳴き声が川一面に響きわたっている。

釣り人がほとんどいなくなったせいで、ようやくカジカも石の下から出てきたらしい。

背中のカジカを振り返り目で追うが、華麗な鳴き声だけで、姿は見つからない。すると、竿先の方からも大きなカジカの鳴き声も加わり、さらに対岸の下からも数匹のカジカの大コーラスが響きわたっている。

目には美しい清流が飛び込み、目と耳からそして手からは鮎の感触が伝わってくる。ここは、まさに幽玄の境地に他ならない。

“もしかしたらここは天国の川かもしれない!”

興津川に感謝! 

|

興津川の水は、綺麗だ!

Photo_2

|

2009年5月15日 (金)

ブラジル駐日大使に、カエルプロジェクトの協力依頼

Dscn0395

左から:日伯中央協会 森 常務理事

     日伯中央協会 清水 会長(元三井物産社長)

     ネーベス 伯駐日大使

     東京お茶の水RC  伊藤 会長 (当時)

     東京お茶の水RC  国際奉仕委員長 小田 (当時)

2008年から、リーマンショックの影響で、世界経済は大きな景気後退局面に

陥り、日本経済も例外なく、企業の統廃合、労働者の解雇が蔓延していた。

 日本に働きに来ていた、日系ブラジル人(約35万人)は、ほとんどが非正規

社員であり、その大半が解雇されてしまった。

問題は、帰国した人の子供達である。ブラジルでは、ポルトガル語が公用語である。しかし、日本にいた子供達は、ポルトガル語を全く話せず、学校に行っても着いていけず、不登校、犯罪の道に誘惑される人もいるという。

 そのような人たちに、人道的な支援の手を差しのべて、帰国の為の航空費用の国家援助をいち早く働きかけたのが、日伯中央協会であった。

清水会長からは、今の日系ブラジル人の悲惨な実体と、学校に行けない子供達への協力要請を兼ねて公的支援を要請された。

 しかし、日本、伯とも、国家的な支援は、皆無に等しい。

  こうした状況に対応すべくブラジルで、日系ブラジル人の教育者、教育関係者を中心として、「社会教育連帯学会」(ISEC)があり、その中で、『カエルプロジェクト』を立ち上げブラジルにおける帰国した子供達への支援も併せて依頼された。、

 その際、東京お茶の水ロータリークラブも今回の事態をふまえて2009年6月にブラジルに教材等を『カエルプロジェクト』に贈呈すために書籍等を持参する旨を伝え、ブラジル政府への協力要請を併せてお願いした。

2009年 5月

|

« 2009年2月 | トップページ | 2009年7月 »