« ブログ を始めました。 | トップページ | 『見釣り』 »

2007年9月25日 (火)

真瀬川と荒虎(1)

(1) 真瀬川の解禁日。地元の多くの人が、この日を待ちに待ってた。

漁協から見下ろす川には、大勢の人が、竿を出している。下流で友釣りをしている人もいるが、ほとんどは、鮎の毛鉤釣りである。周りには、夫婦連れもいて、奥さんが釣れると、キャ-キャーいいながら、釣れた鮎を、頭の上にぶらぶらして取り込み、再び、竿を降ろすと、また、キャーキャー言っては、空中に鮎をぶらぶらさせながら、大騒ぎである。さながら祭りの縁日にも似て、だれの顔も、笑顔である。

そんな中で、初めて「鮎の毛鉤釣り」をしたという奥さんが、一際目立つし、よくかかるのである。

それもそのはず、ご主人が、毎年ここに来て、どの鉤がかかるかは、百も承知だ。その鉤を奥さんに、そっと付けて釣らせるものだから、その奥さんの鉤にメチャクチャかかる。そのたびに黄色い声が辺りにキャーキャー響きわたる。賑やかなことこの上ない。もちろん、主人よりも遙かに釣る。

その騒ぎに、つられて川のすぐ上に、漁協の小屋があり、そこから数人の組合員が、解禁祝いの酒を飲んで、赤い顔をだし窓越しに、下の夫婦連れに声をかけた。

”おーい、父ちゃん、がんばれよ-!” (^_^) 

  そんな中で、どんなに鉤を代えても鮎が見向きもしない釣り人が一人ポツンと竿を上げ下げしていた。すると、見るに見かねて私の背中から背の高い紳士(元、地元の校長先生)が、”この鉤を使ってみなさい!”

といって、私に渡してくれた。

その鉤を見ると、今まで見たことのない鉤である。

私は、お礼を言いながら、その鉤をじっと見ると、虎のような縞模様で、やや大きめの鉤である。かなり使い古したその鉤に、まだ不安を抱きながら、そっと、水に沈めると、今まで私には見向きもしなかった鮎達が、突然、狂ったように食い付きだした。、それは、驚喜に満ちた一種の錯乱状態でもあった。後で聴いたところ、この鉤は「荒虎」だという。今は亡き「国柄さん」が、差し出した鉤がそれである。

その後も、私が秋田に釣りに行くと、いつも国柄さんは、空港まで迎えに来てくれて、八森町までの道すがら、川があれば、車を止めて、”ここは、水沢川だよ!” と。橋の上から、私にそこの川の鮎の説明をするのが楽しみのようであった。そして、夜はいつもご自宅でご馳走になり、夜遅くまで、鮎釣りの話に夢中で話が尽きなかった。

 その中で、いつも奇異に感じた言葉がある。

(2) 鮎が ”つく” という。

鮎が毛鉤に食い付くことを、国柄さんは”つく” というのである。

Photo

ついた、つかない、というのは、どうも聞き慣れない言葉であった。鮎が鉤に食い付くことを、”つく”という。 食い付く、ことを、略して、”つく” というのかもしれない。

(写真:在りし日の国柄さん  真瀬川にて)

ここ八森町は秋田とはいえ、青森県の県境にあり、言語学的には、津軽との影響は皆無ではなかろう。そう思えば、思い当たる節がある。

先日、米代川で会った友人との会話で、こんな話を聞いた。津軽弁で、「ど さ?」 というのは、「どこさ行く?」という意味とのこと。つまり、言語の省略化である。寒い極寒の地では時として、口を大きく開けて話すよりは、口はあまり開かず、言語は、極力簡素化する方が、合理的である。そう思えば、鮎が、鉤に「食い付く」 より 「付く」というほうが、省略されていて、合理的ではある。たぶんそうにちがいない、と、一人決め込んでいる。しかし、真偽のほどは、定かではない。 

もしかしたら、鮎が一番”つく”鉤を、天国に持っていって、夏には、竿を出しているのだはなかろうか。

|

« ブログ を始めました。 | トップページ | 『見釣り』 »

鮎の毛鉤釣り」カテゴリの記事