2020年9月11日 (金)

白神山地の鮎

白神山地の鮎

7/18 朝、車で小金井を出て、10時間。青森県五所川原まで来た。

栃木県を越えると、コロナウイルス感染のため旅行が自粛され

ているせいか高速道に車はいない。

東京から720km, 走り、青森県五所川原まで来ると、津軽の

シンボル岩木山が見えてきた。

「赤石川」

 本州最北の川ともいうべき「赤石川」

 秘境 白神山地から流れ出る川に着いた。

最初にすることは、この川の水を手で掬って飲

むことだ! 

冷たくて うまい!! 

ブナの原生林からしみ出た水は、白神山地の味がする。

水が綺麗なら、石に着く苔も香りが良い。

これを食べる鮎は、シルクのような肌触り、スイカのような

芳香を放つ。

Img_4296

 

目の前に特別天然記念物のカモシカが現れた。

白神山地が、歓迎の使いをカモシカに託したのではなかろうか!

 

白神山地の山並みは低いものの、広範囲に原生林が広がっている。
世界遺産に指定されてから、熊猟師のマタギは熊を殺すこと

ができなくなり、熊たちの天国と化している。

白神山地を源流とする川はいくつもある。
今年は、小さな川でも天然遡上の鮎がかなり見られる。

 こんな小さな川でも、20cmで幅広い鮎が、たくさん釣れた。

この写真のすぐ近くに、二日前、「熊」が現れたという。ここから

更に、600m上流で釣った。

 カナダのレンジャ-が持っている、「熊スプレー」を持ち、更に

爆竹をいつでも鳴らせるように準備をしていても熊の縄張りの中

に入ると、薄気味が悪い。
今回は、「熊」と遭遇することはなかったが、目の前に「カモシカ」が現れた!

Simg_4592_20200912090801

いま、世界遺産になり、白神山地は、熊やカモシカなどの天国である。

ここに流れる川に棲む鮎も最高の鮎である。

白神山地の川に入った瞬間、「幽玄の世界」に立ち込んだ錯覚にとらわれる。

これまで、九州、四国そして韓国の川と鮎釣りを楽しんできたが

白神山地の川は、絶世の感がする。

 

| | コメント (1)

2020年7月16日 (木)

伊豆.天城峠から流れる青い「清流」..狩野川源流に鮎が泳ぐ

Img_4188_20200716183401

川端康成が、「伊豆の踊子」を執筆した宿の近く。

青色の清流が実に美しい。

鮎釣りのメッカ. 「狩野川」の源流を訪ねた。

目を懲らして足下を見ると、鮎が石を食んでいる。

20年前にもここを訪れ、鮎を釣った。当時と比べると、

足下の鮎は 20分の1 位ではなかろうか!

しかし、綺麗な川で美しい鮎を見ると、心が洗われるようだ!

 

 

| | コメント (0)

2020年6月25日 (木)

囲碁 5段 に合格!

囲碁 「5段」 に合格。

2001年に囲碁を始めた。

晩年に始めたので、自己流では限界があると思い、

プロの先生に指導していただき筋の良い碁を打つよう

に心がけた。

多くのプロの先生に講習会等で学んだ結果、2013

に日本棋院の認定大会で「4段」に合格した。

 その後、友人から「5段」を受けるように進められ

た。

日本棋院の認定するアマチュアの最高段位が、「7段」

であるから、「4段」で満足していた。

 しかし、友人は、「5段」を受ける人は同じような

レベルの4段の人が受けるのだから受験してみなさい!

と言われ受験することにした。

 

2020年1月29日 

日本棋院の「5段」認定大会は、5戦対局し「3勝」

以上が合格。

初戦に勝つと、2回戦は、勝った人同士で対局し、

更に2回戦で勝つと3回戦は更に、勝った人同士で戦う。

という、厳しい勝ち抜き戦であった。

 

 今回は、運良く、2連勝し、更にその後1勝を追加し、

「3勝」の合格ラインに達した。

公認の「5段」合格は嬉しかった。

多くのプロの先生に御指導をいただいたお陰であり

心から感謝申しあげます。

 

 

 

 

 

|

2020年1月 3日 (金)

2019年 7月 モンゴル草原の乗馬

20197

Img_2913

Sdsc_1884_01

Sdsc_1812

 

 

熱帯夜の続く東京から、モンゴルに飛んだ。首都ウランバ-トルの

夏は涼しく夜は寒い。

標高1350m の高地で、しかも緯度は樺太と同じ位置。

草原のゲルは快適であった。

 国分寺三田会で、私が「草原の乗馬の素晴らしさ」という題で

講演をした後、ぜひモンゴルにいって乗馬をしてみたいという4

の仲間が私と同行することになった。

 私もこの機会を逃すと一生モンゴルなどには行けないかもしれ

ない!と、言って勧誘した。

 仲間は想像以上に、草原の世界に順応していったので、嬉しかった。

 乗馬も、初心者ながら、みんなうまく乗りこなしていた。

運動神経が良いのだろう。

全員最後には、「ギャロップ」の領域にまで達していた。

思い出深い草原の乗馬を満喫していた。

私も草原の風に当たりながら緑の絨毯の上を馬で疾走する快感

は形容しがたい。

これからも夏のモンゴルは可能な限り、訪れて緑の草原を駆け

てみたい。

| | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

久しぶりのテニス

「ヤナギテニススクール」三鷹台

Photo

 

ここでテニスをしたのは30年前頃だろうか。

長い連休の間、5回ほど運動不足の解消にここを訪れた。

当時の若いコーチ二人は、既に他界して、今は、柳先生

のお弟子さんに指導してもらった。

 これからも、膝、肩を労りながら時々訪れ無理をせず

「健康テニス」に徹したい。

| | コメント (0)

2019年2月21日 (木)

鹿児島県 錦江湾に「真鯛」 大集合

 

 

 

Img_2232

 

Img_2222

鹿児島県 錦江湾に「真鯛」が大集合する時期がある。

昨年に続き渡辺名人に誘われて、今年も訪れた。

桜島を左に見て、外界に向かう。すると、錦江湾の出口

近くに付くと、美しいコニーデ型の「開聞岳」が

見えてきた。

 船縁から釣りイトを流し始めて、しばらくすると、

最初の真鯛が顔を見せてくれた。

 そして、その後は、一定の間隔で大きなタイばかりが

釣れてきた。

 なんと、3人で釣った大鯛が150L入りの大型ク-ラ

-、二日間で満タンである。

渡辺洋文さんに感謝!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

2019年1月 6日 (日)

国際奉仕活動に一区切り

Img0121(写真:右端)
 

42歳で「東京新宿ライオンズクラブ」に入会し、その後、

 60歳から「東京お茶の水ロータリークラブ」に在籍して

  通算約30年間国際奉仕活動の団体に所属。

 

 このたび、一区切りをすることになりました。

 この間、活動の機会を与えていただいたことに感謝申し

上げます。

 今後は可能な範囲での奉仕活動を継続していくつもりです。

|

2018年9月24日 (月)

蒙古秘境探検隊「第二幕」

Sdsc_1061

ノモンハンの激戦地の慰霊を終えて更に

170K 中国国境に向かう。

行けども行けども360度 地平線ばかり。

事前許可を得てようやく中国国境近くの立ち入り

禁止区域に到着。

Sdsc_1065

「ノモン川」が平原の真ん中を蛇行しながら流れ

ている。

Sdsc_1067

国境警備隊以外はここに来ることはない。軍隊の

8輪駆動の車が警備に来るため

道はある。

私達はこの急勾配を降りたのだが、帰りの登りが

雨の後4輪駆動でも登り切れず

大変なことになるとは知らずに...。

Sdsc_1130

到着しテント設営後星空の下での夕食である。

 

夕食後、釣り開始。最長老の私に最初の大物が釣

れた。

Sdsc_1069

ノーザンンパイク。1m位の大物だ。 重い!!

翌朝は、晴れ。今日から本格的な釣り。

既に400AM には、各々が釣り場に向かう。

皆それぞれに大きな魚を釣ってきた。私も歩いて

20分。釣った魚を重くて持ち帰れないので

リリ-ス。

Sdsc_1125

                         (続く)

 

|

2018年9月23日 (日)

ノモンハン事件 慰霊

蒙古秘境探検隊  「第一幕」

Sdsc_0961

ノモンハンの慰霊を兼ねて、秘境で釣りをするため

仲間達とモンゴル ULBまで来た。

ULBから1000km, 国内便に乗換えてのノモンハン

近くに向かう。日本人20,000人の戦没者慰霊を行い

その後、中国国境近くの大平原の国立公園に入る。

貴重な動物と幻の魚イトウ 釣りに挑戦。

ULBから1000km, 国内便に乗換えてのノモンハ

ン近くに向かう。日本人20,000人の戦没者慰霊

を行いその後、中国国境近くの大平原の国立公園

に入る。貴重な動物と幻の魚イトウ 釣りに挑戦。

辺境の地 大平原は 行けども行けども360 地平線

を遮るものはない! 遊牧民もいない!

Sdsc_1189


 ULBから700KM。国内便でチョイバルサンに着く。

 ここから更に悪路を360km,国境に向かってひたすら走

り続ける。

これより国境警備隊管轄下

立入禁止区域。事前申請許可を得ているので

更に奥地へ進む。

 

ノモンハンの激戦地に到着!

[ ハルハ川 ] が見えてきた。 ここでは

ハルハ河戦争 と呼ばれている。 4ケ月で

日本兵 20,000人の死者。ソ連、モンゴル側

25,000人。

Sdsc_1003

 

ソ連軍側の巨大な慰霊碑。

 

その下に、日本人の小さな慰霊碑があった。約二万人の

日本人の英霊が、この小さな碑の下で眠っている。

ここに花、線香、日本酒を捧げ全員で合掌する。

Sdsc_1013_2

 

Sdsc_1041


日本兵の鉄兜。銃弾が貫通していた。これはおそらく

機銃掃射か至近距離からの銃撃の痕であり、即死だっ

たことだろう。ここの小さなハルハ河の国境線争奪で日

本兵2万人、ソ連蒙古 25千人の死者。日本兵は日

露戦争と同じ「旧式銃による歩兵の白兵戦」、一方ソ連

軍は大量の戦車を中心とする機動部隊の戦い。

Sdsc_1025

Sdsc_1033


モンゴル側の慰霊はマギ-が読経する。

Sdsc_1019

 

続いて、日本人による慰霊。黙祷に続いて般若心

経を読経する。モンゴル人のアンハ-も一緒に経典を

読み一緒に合掌してくれる。今なお、激戦地の方方に遺骨が

かなり埋もれたままだ。

 

飛行機や戦車が散見される。更に奥に立ち入ることは

危険であるのでこれ以上進入しないことにした。今なお

不発弾もかなりあるという。

 

Sdsc_1047

ロシア軍の軽戦車

Sdsc_1204

ロシア軍 の戦車  時速50K の高速戦車

Sdsc_1044

日本軍の飛行機

Sdsc_1057

大きなソ連軍の慰霊碑(今は戦勝記念碑と呼ばれている)

その下に小さな日本軍の碑があった。

「レミゾフ高地 戦没者諸英霊

 歩兵第64連隊 第二大隊」  と記されていた。

Sdsc_1188

 

Sdsc_1185

 

ソ蒙軍の戦勝記念碑に、いまなお、ロシア軍の慰霊

に訪れる人が多い。この慰霊団の一人は、ここで二人

の兄を失ったと言っていた。定期的に、清掃や柵の塗

装などに来ていると聞く。戦争の傷跡は消えることはない。

 ここノモンハンまで慰霊に来る日本人は、今 民間人で

はほとんどない!という。

 私達一同は多くの英霊達に心から安らかに眠ってもら

うように手を合わせた。

 

ソ連軍を過小評価した関東軍。その代償は4ケ月間で

2万人の兵士が殺された。前線での実質的な支配者 

辻政信少佐は第一線の将校に自決を迫り、自分は責

任を逃れ、その後インパール作戦の参謀として後援の

食料、弾薬なしでここでも 多くの兵士を餓死させている。

 

 勇猛果敢に戦っていった日本の兵士。

 頑強な戦車を有するソ連軍にもかかわらず 25,000

人もの死者を出したことは、白兵戦による日本兵の勇猛

果敢な戦いがうかがい知れる。

 戦争への憤りと同時に御国のために死んでいった英

霊に改めて手を合わせる。

この秘境とも言うべきノモンハン。日本から2,000km。

ウランバ-トルから1,000km。

今回の慰霊は、モンゴルのバギ-、アンハ-、ゴンチャ

ンそして他のモンゴルの友人達の協力無しには達成で

きなかった。

 心から御礼申しあげます。

 また、今回の慰霊祭に参加してくれた渡辺さん、山下

さん、川口さん、柴田夫妻 に感謝致します

 

                       第一幕 (完)

|

2018年8月16日 (木)

ノモンハン事件から80年

Img041
(本書はロシア軍の従軍記者が書いた翻訳

本であり、日本軍礼賛は全くない)参考文献。

狂気の大東亜戦争への出発点は「ノモンハン

事件」に端を発する!

無能で無責任な日本軍の首脳部

勇猛果敢な第一線の兵士達。

1939年わずか4ケ期間で約20,000人の死者

を出した。

その後、現地の将校に自決をさせ、もっとも責

を取らなければならない第一線の指揮者 

政信は、逃避。軍服を着た悪魔とある作家は書

いている。

その後、日本の首脳部では、帰国したノモンハ

事件の大敗北は一切話さないようにと箝口令

を敷いた日本陸軍首脳部。

この敗北で日本の軍首脳部は、「北」への侵略

断念。

 さらなる大悲劇となる「南方への進出」に

転換した。

悪夢の大東亜戦争への出発点はこのノモンハ

事件に端を発する。

200万人〜300万人の死者を出した狂気の

東亜戦争から、73年。

無能で無責任な日本軍の首脳部に怒り。

勇猛果敢な第一線の兵士達に合掌。

Img043

作家 半藤一利の筆が冴える。日本軍首脳部の暗部

を鋭く抉っている。

 著者は煮えたぎる怒りを押し殺して書いていったに

違いない!

| | トラックバック (0)

«大草原を駆ける