2018年9月24日 (月)

蒙古秘境探検隊「第二幕」

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ノモンハンの激戦地の慰霊を終えて更に

170K 中国国境に向かう。

行けども行けども360度 地平線ばかり。

事前許可を得てようやく中国国境近くの立ち入り

禁止区域に到着。

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「ノモン川」が平原の真ん中を蛇行しながら流れ

ている。

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国境警備隊以外はここに来ることはない。軍隊の

8輪駆動の車が警備に来るため

道はある。

私達はこの急勾配を降りたのだが、帰りの登りが

雨の後4輪駆動でも登り切れず

大変なことになるとは知らずに...。

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到着しテント設営後星空の下での夕食である。

 

夕食後、釣り開始。最長老の私に最初の大物が釣

れた。

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ノーザンンパイク。1m位の大物だ。 重い!!

翌朝は、晴れ。今日から本格的な釣り。

既に400AM には、各々が釣り場に向かう。

皆それぞれに大きな魚を釣ってきた。私も歩いて

20分。釣った魚を重くて持ち帰れないので

リリ-ス。

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                         (続く)

 

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2018年9月23日 (日)

ノモンハン事件 慰霊

蒙古秘境探検隊  「第一幕」

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ノモンハンの慰霊を兼ねて、秘境で釣りをするため

仲間達とモンゴル ULBまで来た。

ULBから1000km, 国内便に乗換えてのノモンハン

近くに向かう。日本人20,000人の戦没者慰霊を行い

その後、中国国境近くの大平原の国立公園に入る。

貴重な動物と幻の魚イトウ 釣りに挑戦。

ULBから1000km, 国内便に乗換えてのノモンハ

ン近くに向かう。日本人20,000人の戦没者慰霊

を行いその後、中国国境近くの大平原の国立公園

に入る。貴重な動物と幻の魚イトウ 釣りに挑戦。

辺境の地 大平原は 行けども行けども360 地平線

を遮るものはない! 遊牧民もいない!

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 ULBから700KM。国内便でチョイバルサンに着く。

 ここから更に悪路を360km,国境に向かってひたすら走

り続ける。

これより国境警備隊管轄下

立入禁止区域。事前申請許可を得ているので

更に奥地へ進む。

 

ノモンハンの激戦地に到着!

[ ハルハ川 ] が見えてきた。 ここでは

ハルハ河戦争 と呼ばれている。 4ケ月で

日本兵 20,000人の死者。ソ連、モンゴル側

25,000人。

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ソ連軍側の巨大な慰霊碑。

 

その下に、日本人の小さな慰霊碑があった。約二万人の

日本人の英霊が、この小さな碑の下で眠っている。

ここに花、線香、日本酒を捧げ全員で合掌する。

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日本兵の鉄兜。銃弾が貫通していた。これはおそらく

機銃掃射か至近距離からの銃撃の痕であり、即死だっ

たことだろう。ここの小さなハルハ河の国境線争奪で日

本兵2万人、ソ連蒙古 25千人の死者。日本兵は日

露戦争と同じ「旧式銃による歩兵の白兵戦」、一方ソ連

軍は大量の戦車を中心とする機動部隊の戦い。

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モンゴル側の慰霊はマギ-が読経する。

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続いて、日本人による慰霊。黙祷に続いて般若心

経を読経する。モンゴル人のアンハ-も一緒に経典を

読み一緒に合掌してくれる。今なお、激戦地の方方に遺骨が

かなり埋もれたままだ。

 

飛行機や戦車が散見される。更に奥に立ち入ることは

危険であるのでこれ以上進入しないことにした。今なお

不発弾もかなりあるという。

 

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ロシア軍の軽戦車

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ロシア軍 の戦車  時速50K の高速戦車

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日本軍の飛行機

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大きなソ連軍の慰霊碑(今は戦勝記念碑と呼ばれている)

その下に小さな日本軍の碑があった。

「レミゾフ高地 戦没者諸英霊

 歩兵第64連隊 第二大隊」  と記されていた。

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ソ蒙軍の戦勝記念碑に、いまなお、ロシア軍の慰霊

に訪れる人が多い。この慰霊団の一人は、ここで二人

の兄を失ったと言っていた。定期的に、清掃や柵の塗

装などに来ていると聞く。戦争の傷跡は消えることはない。

 ここノモンハンまで慰霊に来る日本人は、今 民間人で

はほとんどない!という。

 私達一同は多くの英霊達に心から安らかに眠ってもら

うように手を合わせた。

 

ソ連軍を過小評価した関東軍。その代償は4ケ月間で

2万人の兵士が殺された。前線での実質的な支配者 

辻政信少佐は第一線の将校に自決を迫り、自分は責

任を逃れ、その後インパール作戦の参謀として後援の

食料、弾薬なしでここでも 多くの兵士を餓死させている。

 

 勇猛果敢に戦っていった日本の兵士。

 頑強な戦車を有するソ連軍にもかかわらず 25,000

人もの死者を出したことは、白兵戦による日本兵の勇猛

果敢な戦いがうかがい知れる。

 戦争への憤りと同時に御国のために死んでいった英

霊に改めて手を合わせる。

この秘境とも言うべきノモンハン。日本から2,000km。

ウランバ-トルから1,000km。

今回の慰霊は、モンゴルのバギ-、アンハ-、ゴンチャ

ンそして他のモンゴルの友人達の協力無しには達成で

きなかった。

 心から御礼申しあげます。

 また、今回の慰霊祭に参加してくれた渡辺さん、山下

さん、川口さん、柴田夫妻 に感謝致します

 

                       第一幕 (完)

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2018年8月16日 (木)

ノモンハン事件から80年

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(本書はロシア軍の従軍記者が書いた翻訳

本であり、日本軍礼賛は全くない)参考文献。

狂気の大東亜戦争への出発点は「ノモンハン

事件」に端を発する!

無能で無責任な日本軍の首脳部

勇猛果敢な第一線の兵士達。

1939年わずか4ケ期間で約20,000人の死者

を出した。

その後、現地の将校に自決をさせ、もっとも責

を取らなければならない第一線の指揮者 

政信は、逃避。軍服を着た悪魔とある作家は書

いている。

その後、日本の首脳部では、帰国したノモンハ

事件の大敗北は一切話さないようにと箝口令

を敷いた日本陸軍首脳部。

この敗北で日本の軍首脳部は、「北」への侵略

断念。

 さらなる大悲劇となる「南方への進出」に

転換した。

悪夢の大東亜戦争への出発点はこのノモンハ

事件に端を発する。

200万人〜300万人の死者を出した狂気の

東亜戦争から、73年。

無能で無責任な日本軍の首脳部に怒り。

勇猛果敢な第一線の兵士達に合掌。

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作家 半藤一利の筆が冴える。日本軍首脳部の暗部

を鋭く抉っている。

 著者は煮えたぎる怒りを押し殺して書いていったに

違いない!

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2018年8月 5日 (日)

大草原を駆ける

2018.7 モンゴルの草原に行ってきた。

何度目か数え切れない。 

草原の乗馬は、快適である。

https://www.youtube.com/embed/DjEd50-tBYI?rel=0

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寒いモンゴルの避暑地

2018.7.14  今年もモンゴルの草原を訪れた。

日本が連日、 38度の猛暑が続いていた。

 しかし、モンゴルは、「16度」と涼しい!

朝は霧が立ちこめて、寒い。

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 今回の草原は 海抜1800m 緯度は、

北海道の北樺太あたり。

 最高の避暑地である。

 ここは、ULBから、北東約150km位。

 

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草原のオ-ロラ?

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2018年5月18日 (金)

幻の魚 イトウ釣り  探検隊

(写真 再掲)

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2017年9月 イトウ釣り探検隊  現地の名案内ガイ

ドはバギー、アンハ-。秘境での釣りを堪能できた

のもこの二人のお陰でした。 2018年9月は、今も

ほとんど人のいない「ノモンハン事件」で有名なモン

ゴル.中国、そしてロシア国境附近の探検の事前打

ち合わせを行った。 

九州からわざわざ、渡辺さんさんが上京してくれた。 

二次会は、ワインバ-で盛り上がった!今年も

イトウ(Mongolian Taimen)と対面できますように!

昨年のイトウ釣り探検隊。

現地の仲間達と。

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モンゴル草原の乗馬の素晴らしさ

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先日、随想の執筆を依頼されて、乗馬とシベリア国境附近

での「イトウ釣り」について書いた記事である。

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2018年2月11日 (日)

鹿児島の大鯛釣り!

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入り鯛」
モンゴル遠征隊の仲間が、ぜひ鹿児島に大鯛釣り来い! という。

太平洋の鯛が鹿児島の錦江湾に産卵のために集まるという。
2月、寒風が吹き荒ぶ海で鯛が釣れるのかと半信半疑で行っ...

てきた。 外の気温 2度C。 寒くて震えたが、
 鯛が釣れ始め、午前中、大鯛が5匹も釣れた。他の魚は
全く釣れない。真鯛だけである。

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太平洋の鯛がここ鹿児島の知多半島と指宿との狭い海峡に
入ってくるのだという!
 そこの入り口で釣るのだ。とにかく釣れた。その後の
処分を友人が心配していた。 私の親戚は長野、山形、福島
に送るので心配しないでください!と言って、釣り続けた。
優勝した力士が撮影するときの鯛は、鹿児島の鯛である
と船頭さんは言っていた。 
あのくらいの鯛が翌日の半日まで、私は大鯛が、「14匹」
釣った。

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産卵に来る鯛を釣るのは..、良心がとがめるかもしれませんね!
と、誘ってくれた同好の釣り友人が言っていた。
 私が釣る数は、知床川に遡上する鮭の群れを、ヒグマが
を捕まえるのと変わらないような気がするのですけど..。
と、自己弁護しておいたのだが...。

開聞岳を見ながらの大鯛釣りは私の忘れ得ぬ釣りの一コマとなった。

西郷さんの頃からこれらの鯛を「入り鯛」と呼ぶそうだ!

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2018年1月12日 (金)

福島県の中学生 80人を招待!

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福島県の子供達が放射能汚染で外で運動ができない! 
それ以来、毎年福島県の中学生を関東に呼び、福島.

関東のバレ-ボール交流会が開催されてきた。
2017.12.23 東京お茶の水ロータリークラブも福島県

の5校中学生80名を呼び活動を支援した。
12/23 神保町の古本屋街を見学し、12/24は

バレ-ボ-ル交流会に参加。
全日本バレ-ボ-ル協会の選手は、各中学校の生

徒に個人指導。

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(全日本バレ-ボ-ル協会眞鍋監督と選手)

子供達は目に見えて、進歩し帰京後の

良い思い出になるに違いない。

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2017年11月19日 (日)

「新潟県 阿賀町(私の故郷)の米、が記事に!」

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日本経済新聞 2017.11.19(日)朝刊 p.10     

 阿賀町は小さな町である。ここで採れる米は極めて少ない! 

  しかし、味が良いとのことで、今では、ここで採れる米が 

 JALのファ-ストクラスにも供給されていると聞いたのは数年

前である!。我が故郷の米が記事に載るのは嬉しい限りである。


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